園長のひとりごと11月号「 能登半島募金 ありがとうございました」
でもなぜこのような気候になったのでしょう。北海道では、サンマもシシャモも捕れなくなって、本来は捕れてなかったブリが大量に捕れて、東京湾の海底では、サンゴや色鮮やかな熱帯魚が生息しているとニュースで言っておりました。私たちの星、「地球」に何が起こってるのでしょう。
そのようなことを考えている中で、能登地方で大きな水害が起こり、1月の地震で避難所生活を強いられ少しづつ元の生活に戻ろうとされていた人々が、またしても心が折れてしまうほどの恐怖と失望のどん底に陥れるような災害に襲われるなんて・・・・これも、地球規模の異常気象が起こしたのではないかと考えられます。
そして、先日皆様にお願いして呼び掛けた募金が4園で合計、200,000円となりました。 1月にもお願いし、今回と重ねてのお願いにもかかわらず、皆様方から温かい多額のご支援をいただいたことに、本当に心から感謝申し上げます。 その様な募金の入った袋にはやっと字が書けるようになったお友達が、一字一字丁寧に、「楽しい保育園の日々を送ってください」と書かれているものもあり、 募金の呼びかけのお便りを子どもさんと一緒に読んで、その想いを親子で届けようとしてくださったんだろうなぁーと思えるものもありました。 私たちはまず自分自身が安心安全であればいいと考えがちで、他の方たちが様々な被害や困難な状況にある姿を見ても、興味や関心を示すことをあまりしなくなってしまっていると感じる事があります。
また、そのような状況を見て「可哀そうに」と思う心のどこかで「自分でなくてよかった」と安心していることもあります。それでもなんとか「可哀そうに」と思い、「私に何ができるの、何もできないよね」と、通り過ごしてその想いを流してしまいます。
でも、「何ができるの」と考えている時に、街頭で「お願いしまーす」という声を耳にして、「あっ」と思い、足を止め財布の中の小銭を募金箱に入れる行為が生まれる事もあります。 この一瞬の心に灯る「あっ」という想いで足を止める事があるのかないのかで世界は変わるのではないかと私は思うのです。なんて大げさな! そうなんです、その大げさな、おおきなことが、一瞬の「あっ」にあると思います。 「あっ」と思って投げ入れた小銭が「あっ」「あっ」・・・・と、たくさん集まり、絶望の淵にいる人の心に「助かった」「ありがとう」という気持ちが生まれる事もあるのです。 その「助かった」「ありがとう」の気持ちが、その人が絶望から立ち上がった時に、目の前にいる困っている方に手を差し伸べてあげたいという気持ちに繋がるのではないでしょうか。 私は人の心の豊かさはこの一瞬の「あっ」という想いを行動に移せるかどうかで生まれるのではないかと思うのです。
先ほど親子でメッセージを書きながら「あっそうだよね」と募金をしてくださった姿が募金袋をみていると、はっきりと私の脳裏に動画の様に浮かんできて、「あっ」と思ったのです。 お手紙を書いて送ろうと、きっと子どもさんがつぶやいたのではないでしょうか?そしてその小さなつぶやきを「そうだよね」と、お母様やお父様が受け止めて、私の手の中にある募金袋になったんだろうなぁーと・・・・・・募金袋をしみじみと眺めながら思いました。・・・・「ありがとうございました、私の心を潤していただいて」と、能登に届く前に、私の心に届きました。
園長のひとりごと10月号「 子ども基本法 」
あの”うだるような“暑い夏が、ようやくすぎて、朝晩は秋らしい気配になってきました。
今年はあまりの暑さで彼岸花の開花も遅くて、お彼岸が過ぎてから見ごろを迎えています。いつも、彼岸花が咲いて「お彼岸が来たよ」と、教えてくれていたのに、地球の温暖化は日常の「いつも」に変化を及ぼしてしまいます。
8月から9月にかけてゲリラ豪雨や台風、地震といった大きな災害が各地で頻繁に起こり、特に能登半島では、1月の地震に続き豪雨による土砂崩れや家屋の浸水・崩壊など、本当に心が痛くなるほど気の毒で、皆様に今一度募金のお願いをさせていただきたいと思っております。その時にはご協力をお願いいたします。
さて、今月は私たち認定こども園や保育所の所管を行う「こども家庭庁」と「こども基本法」について少し述べさせていただきたく思います。
この国の乳幼児期の育ちを支える代表的な施設として、幼稚園・保育園・認定こども園がありますが、これらを所管する省庁をご存じですか?
令和5年までは、幼稚園「文部科学省」、保育園「厚生労働省」、そして、それを併せ持つ施設として誕生した認定こども園は「内閣府」でしたが、令和5年4月に子どもの様々なことに対する司令塔を一本化するということで、「こども家庭庁」が創設され、現在は幼稚園「文部科学省」そして認定こども園と保育園は「こども家庭庁」に代わりました。
先月、新しい保育の研修会が東京大学で開催され、わたくし王寺も安田講堂で、自見はな子参議院議員やこども家庭庁の課長と対談やシンポジウムで登壇させていただいたときに、自見議員から「子どもの成育を社会全体で支えるための法律を作らねばならないと考えて、子どもの権利条約を土台に、子ども基本法が作られた」と、制定までのお話をされました。
皆さんは子ども基本法が制定されたことをご存じですか?
◆どうして子ども基本法を作らなければならなかったのでしょう?
「権利の主体は子どもである」というように、子どもをめぐる環境の深刻化に対して大人の視点だけで解決を図るのではなく、当事者である子どもの視点を尊重すること、子どもの権利を包括的に保障するために制定されました。
◆どのような内容なのかな?
6つの基本理念
- すべてのこどもが大切にされ、 基本的な人権が守られ、差別されないこと。
2,すべてのこどもが大事に育てられ、 生活が守られ、愛され、保護される権利が
守られ、 平等に教育を受けられること 。
- すべてのこどもが、年齢や成長の程度に合わせて、 自分に直接関係することに
意見を言えたり、 さまざまな活動に参加できること。
- すべてのこどもの意見が年齢や成長の程度に合わせて、大事にされ、こどもの今
とこれからにとって最もよいことが優先して考えられること。
- 子育てをしている家庭のサポートが十分に行われること、家庭で育つのが難しい
こどもに家庭と同じような環境が用意されること。
- 家庭や子育てに夢を持ち、喜びを感じられる社会をつくること。
以上のような内容で、子どもは皆、平等に育てなければならないとか、愛され守られる存在であるとか、すごく当たり前のことが書いてあるように思うのですが、ふと日々の子どもとの生活の姿を振り返ってみると・・・・
- 子どもに意見を聞いていますか?
私たち大人は子どものためにと思って、安全に安心して過ごせるためにと、ついつい大人の判断で何事も決めていないでしょうか?
子どもはなぜそうしたいのか、子どもは何を考えているのか、聞いてみないとわからないのです。
- すべては子どもにとってどうなのか?をいつも考えていますか?
難しい漢字やことわざを覚えさせることって、子どもにとっていま必要ですか?
すごく難しい数式や化学式って今子供に必要ですか?
きっと難しいことが好きな子どももたくさんいるでしょうが、「今この子に必要なのか」を考えてみること、そして「どうする?」と、子どもに意見を求めることを法律で制定されているのが子ども基本法なのです。
このことは、今までの子育て支援の在り方をも変えてくれる可能性があると思うのです。子育て支援と言いつつ、労働力確保のために長い時間施設が子どもを預かることや、病気の時にさえも施設で預かることを子育て支援と社会は言っていました。
でもこれからは、「こどもの気持ちや、こどものことば」を大切にすることも同じように大切だよ!って、子どもの視点に立ってくれる社会ができるのです!
安田講堂で私は自見議員とこども家庭庁の課長を前にして、声高らかに宣言しました!
(文責 N・O)
園長のひとりごと9月号「 子どもの時にだけ育つ脳の働き 」
園長のひとりごと8月号 「 リスペクト 」
記録的な猛暑が続き、毎日のあいさつは「暑いですねー」が、朝も夜も聞かれています。
子どもたちの園での生活は少し気温が低い午前中に園庭で遊び、毎日のように園のプールや龍門での水遊びに興じ、みんな元気いっぱいで暑い夏を楽しんでくれています。
さて、今月の独り言は、やはりパリで行われているオリンピックの事ですね!皆さん方も、日本選手の活躍に毎晩遅くまでテレビでの応援が続いて、少々寝不足気味ではありませんか?柔道や体操は特に日本のお家芸と言われるほど、毎回オリンピックではメダルを団体や個人で獲得されています。死闘ともいえる戦いを繰り広げている選手の姿に胸が熱くなり、パリまでは聞こえないけど大きな声で応援をしている私です(たぶん日本国民の多くはそうでしょう)そして私は、その戦いの場面で日本人の心根の美しい姿にもう一つの感動をおぼえます。
男子体操団体で点差が開いている中、「あきらめるなー」と、何度も何度も大声で各選手を鼓舞するキャプテン、最後の種目の鉄棒で逆転の演技を終えて大歓声が響く会場に、次の演技者のために「静かにしてください」と促す橋本選手。柔道では連覇を果たした阿部選手が畳を降りるときに、正座をして深々と礼をする姿に会場の中に一服の清々しい「気」が吹いたように感じました。
まだまだ多くの場面でこれからも目にすることと思います。人はなぜこのような行為ができるのでしょう。私はこれこそが「非認知能力」を大切にしてきた日本文化の礎ではないかと考えます。
私事より人のことをおもいやり、想像することを美徳としてきた日本人の生活文化意識があったからではないでしょうか。どんなにつらい時も、どんなに苦しい場面でも、他の人に対する尊敬の念を忘れない心根が、現代の若い選手の中にも息づいているのです。
日本人は古来より生きとし生けるものすべてに尊敬の念を持つことを信条として、歌を詠み自然を崇め、先人たちを大切に思ってきたのです。
仏教では「生かされている」というところではないでしょうか。私は自分の力で生きているのではなく、多くの人、多くのいのちの恵みで、生きさせてもらっているというリスペクト(尊敬)だと思うのです。
先日、佐賀県で私立幼稚園連合会の九州地区研修会が開催され佐賀文化会館で九州中の園長先生や保育者の皆さんが集う会の開会式が執り行われました。佐賀県知事や県会議長の方々も参加される中、母が「幼稚園讃歌」を歌ってほしいとの依頼がありまして歌うことになったのです。母は「こんな年寄りが出て歌うなんておかしかろうもん」と辞退しようと言っていたのですが、私と娘は母が歌うことこそ意味があると説得し当日を迎えたのです。それは、91歳になる年齢まで子どもたちのことを想い、子どもたちのために生かされてきたことは、母一人の力ではなく、多くの子ども達や多くの方々の想いがあって今日を迎えている事への感謝と、母に歌ってほしいといわれる佐賀県の幼稚園の先生方が、母たちの時代を生きた人たちが今の幼稚園を支えてきたというリスペクトの想いがそうさせているということ。そして、いま、
保育に携わる方々へ70年間やってきた母の姿がきっと勇気と元気を与える、一つのエールになるのではないかと思ったからです。
会場で母の歌う番が来た時司会者から、「91歳、今も現役で平安こども園の園長」という紹介に会場がどよめきました。歌い始めるとその声量に誰よりも驚きの表情を見せていただいたのが佐賀県知事でした。無事に歌い終えると割れんばかりの拍手が母に贈られました。
そのあと、多くの先生方から「涙が出て、何とも言えない感動をおぼえました」と声をかけられました。
あらためて、私や娘が今あるのは両親の今までがあったからと深く感じるひと時でした。
N・O (文責)
園長のひとりごと7月号 「ことば」について考える
今年も梅雨のシーズンになり、毎日の雨の日がちょっと鬱陶しい私たちに、路地に咲く紫陽花がさまざまな色合いで雨のしずくを輝かせ、私たちの心を少し和ませてくれているようです。今月号から「園長室だより」を「園長のひとりごと」に変えさせていただきたく思います。「おたより」となれば、少し皆さんに情報を提供するなど「教える」という意味合いが強くなりそうなので、「ひとりごと」にすれば、「ああ、こういう考えもあるのか」っと読んだ方に「ふわっ」と
伝わればいいかな、と思ったので、よろしくお願いいたします。
さて、今月は6月に私が体験したことから、私なりに感じ、考えたことを書いてみたいと思います。毎年6月は認定こども園協会の総会・トップセミナーを東京で
開催しております。本当に毎日のように準備でオンラインの会議があり、全国の方々とお話しました。
また当日も多くの参加者の方々と言葉を交わし、セミナーで登壇していただいた、講師の先生方とも言葉を交わします。今年のテーマは「こどもまんなか社会の実現にむけて」にし、京大教授柴田先生、そして、子育て支援に先進的に取り組む大分臼杵市中野市長・今治市徳永市長のお話を聞くことにしました。
柴田先生は世界のデーターを基に「こども期に親から虐待を受けると、将来、人間関係に困難を抱えたり、雇用や収入が不安定になったりし、幸福感が低くなる」と話され、その言葉に衝撃を受けました。また、お二人の市長は子どもたちのための施策をご自分の言葉であつく話されました。その熱量あふれる言葉にご自分で構築し実現されたんだと強く伝わり感動しました。
そして、私は子どもたちが発した言葉を思いました。
運動会の日に「私は金メダルが取れなかったけど、○○ちゃんは取れてよかったね!」とか、私が「靴をくつ箱に入れないと、鬼さんが持っていくよー」といったことに対し、傍にいた子が、「靴もお日様にあたって暑かろうね」といった言葉。どれも、小さな子ども達が私に語りかけた小さなつぶやきの言葉ですが、
心にしっかりと刻まれています。
先日、子どもの居場所Kids Spaceルンビニーの小学生がこんなことを話してくれました。
「俺さ、このまえ友達と喧嘩して、学校から逃げ出したんだ」「えっ!先生たちびっくりしたでしょう」「うん!それで、探してたんだって」「そうだよ、そんなことしたらみんな心配するから」「それでさ、校長がさ、今度こんなことしたら警察ざたになるよ!って、脅すんだ」と、こんなやりとりの言葉でした。先生たちがとても心配していたことは本人もよくわかっていたのですが、最後に言った「脅すんだ」の言葉に悲しさと何とも言えない虚しさを感じました。
先生たちが心配していたことが伝わってないばかりか、先生の言葉は、彼の心には脅し文句として響いたのです。
言葉は我々の生活になくてはならないものですが、発した言葉がどのような形になり、他の人の心に届くのか。届いた形は私たちには見えません。
心が熱くなるような叱咤激励に届くのか、さげすむように届くのか。
だからこそ、言葉は大切なのですね。丁寧に届くように紡いでいかねばと思います。
最後に・・西蓮寺 中川正法先生の「仏教を知ろう」より
「他人との出遇いが 私との出遇い」
自分のことは自分が一番よくわかっていると思っています。でもそうでしょうか。
仏教では、一番遇うのが難しいのは、この「私」だと説きます。多くの他人と交流し、たくさんの体験を重ねてみませんか。それが自分自身を映しだす鏡となって
「本当の私」(わが身の事実)との出遇いにつながるのです。
N・O (文責)
園長のひとりごと2024年6月号「皆さんへの表彰のご報告」
町中の田んぼに水が張られ、カエルたちの大合唱が聞こえてきました。田植えのシーズンが到来しましたね。
先日、ルンビニー幼稚園とあかさかルンビニー園の年長児とその保護者さん達、総勢150名の皆さんで岳の棚田で田植えをしました。子ども達はもちろんですが保護者の方々も田植えを経験したことがある方はほとんどありません、また、町の田んぼは区画整理ができていて、大型機械で田植えをするので、「手植え」もあまり見られなくなって初めての方が多かったようですね。岳地区は農業の後継者が不足して、数百年続いてきた棚田も存続の危機に陥っています。私たちはこの町の棚田文化を子どもたちに経験してもらい、後世へつなぐきっかけになってほしいと思って始めました。田んぼから
見下ろす有田の町は小さくかわいらしい町ですが、棚田と同じように窯業の文化が脈々と続く美しい町です。農業も窯業も未来はこの子どもたちに託さなければなりません。美しい自然の中で培われてきた文化を、この先永遠に繋いでほしいと思いながら、小さな子どもたちが親指と人差し指、中指で苗を植える姿が愛おしくまた頼もしく感じるひと時でした。
さて、今回のお便りは去る5月29日「令和6年度佐賀県県政功労者知事表彰」をいただきましたことを皆様にご報告したいとお便りに致しました。
この表彰は私個人が受けたものではなく、これまで園の運営に携わってこられた多くの職員や役員の皆様、そして、たくさんの園児の皆さんと保護者の方々の乳幼児教育の深いご理解とご尽力の賜物だと思います。
ルンビニー幼稚園は父(原田量英)が昭和29年に開園し、平安保育園をその後に設立し、母(原田洋子)と共に有田の町の(西有田も含む)子どもたちの乳幼児教育を担ってまいりました。そして、平成11年(1999年)にあかさかルンビニー園を日本で初めて、学校法人と社会福祉法人が一体となった現在の「認定こども園」を開園したのです。
当時は前例がないことづくめで、法律もなく幼稚園の「学校教育法」と保育園の「児童福祉法」という2つの法律をすり合わせながら国と手探りで運営していたことを思い出します。また、日本中の幼稚園と保育園から「やってはいけないことをしている」と、反対され困難な状況でした。
しかし、私たちは「なぜ、同じ日本の国民の子ども達なのに、親の就労で幼稚園と保育園に分断されなければならないのか」「なぜ、同じ日本の子ども達なのに、子ども一人に対する国の予算が大きく違うのか」「なぜ、同じ子どもなのに幼児教育と福祉に分けなければならないのか」、と国や県に問い続けました。
そして私たちは、「この国の子どもたちはどのような地域においても、また、どのような環境下でも
皆等しく質の高い乳幼児教育と福祉を受ける権利がある」と話し続け佐賀県の特区を受け、今日の認定こども園が誕生したのです。その時も当時の知事さんが「あかさかルンビニー園の子ども達や保護者の皆さんの姿をみて、これが未来の姿だと確信した」という言葉をいただき特区をとってくださったことを思い出します。だから、今回の表彰は
これまで多くの方々の皆さんがお受けいただいたものと本当に深く感謝いたします。そして、この町の文化と同じように、未来へ子どもたちが繋いでくれることを願っております。この国の認定こども園の数は現在10,000園を超え、幼稚園の数を超えました。
O・N (文責)園長のひとりごと2024年5月号「うそをつくことについて」
園長のひとりごと2024年4月号「こどもまんなか」
園長室だより3月号
園長室だより 2月号 義援金ありがとうございました!!
園長室だより 2024年1月号 「 能登半島震災の被災地の皆様に心からお見舞い申し上げます 」
園長室だより 12月号(2023)
園長室だより 11月号(2023)
園長室だより 11月号 「幸せの瞬間」
月日の経つのが本当に早く感じております。今年も残すところ2カ月となってしまいました。あれほど暑い暑いと連呼していたのが、朝晩はブルっと震えるほど、秋が日増しに深まって来ましたね。県内外では4年ぶりの秋のお祭りが各地でにぎやかに開催されていて、やはり秋は浮立の音色とおみこしや山車の「ワッショイ!」や「えんやー!」の声が一番似合います!先日の「有田くんち」ではどの園も、元気いっぱいに「くんち」に色を添えてくれました。とっても可愛いかったですね!!
さて、私たちの日常は、こんなにも楽しく穏やかに過ぎているのですが、世界に目を向ければ、ウクライナとロシアばかりではなく、イスラエルとパレスチナまでもが争いを始めてしまいました。毎日のようにニュースで流れてくる映像に、瓦礫と化したガザの町や痛々しい姿で病院に搬送される多くの子供たちや市民の姿に、私は無意識に手を合わせてしまいます。色々な理由があることだとは思いますが、どんな理由があったとしても、戦争だけはやってはならないと強く思います。何千何万の子供たちの未来が一瞬にして奪われている現実が同じ時間を共有して生きている今まさに起こっているのです。
私たちの町に、ガザやウクライナの様にたくさんのミサイルが撃ち込まれてきたら、どこにどう逃げればよいのでしょう。ニュースの映像に映る子どもたちの不安と恐怖におののく表情が、私たちの子どもたちの表情だったら、私たちは何をしたらいいのでしょう。そんなことを考えると、この穏やかな日常がとても貴重なものであることを思います。家族がそろって食卓を囲み色々な話をしながら食べる夕食。子どもと一緒にお風呂に入り大きな声で笑いあう日常。美しい月を愛でながら空に散らばる星々に夢を語り合う秋の夜。静かな夜半にスースーとかすかに聞こえてくる子どもたちの寝息。何気ない毎日の営みの中に穏やかな時間が流れていることにさえ、当たり前だと思って過ごしている私たちなのですが、その当たり前な時間こそが、かけがえのない大切な時間なのではないでしょうか。
そして、このかけがえのない時間を「幸せ」と感じ、心から感謝の気持ちを持てるような私たちであらねばならないとつくづく思うのです。
先日、有田町の日常を紹介する小冊子が刊行されました。有田の魅力を発信するためのPR誌を数名のデザイナーさんたちが編集されたものです。「A町 とある町、有田町の一日」というフリーのphoto Zineで、手のひらにのるサイズの小冊子なのですが、ページをめくると何気ない日常が素敵な1枚の写真に収められていて、1枚1枚めくるたびに、何か温かな想いが伝わってきます。ここ数日、いえ、ここ数年間何かしら世界情勢の不安定感と人間の醜い様に心がすさんでいた私に、一服の清涼感みたいな、柔らかく心地いい風が吹いてきたように感じて、涙がでてしまいました。ここに収められている日常がとてもありがたくて、とても大切なんだと思うと、この町に生まれ、この町に暮らしている私自身が愛おしく、また、この町に住む人々が愛おしく思えるのです。
うまく言葉に表せないのですが、小さな冊子の中に大きく息づく幸せの瞬間を感じたので、皆様にもご紹介したくてお便りにしました。 N・O
園長室だより 10月号(2023) 秋の夜長に・・・
園長室だより 9月号(2023) 「素敵な夏をありがとう」
園長室だより 8月号(2023)「せみ時雨」
毎日のあいさつが「暑いですねー」で始まるくらい、夏は暑い!のですが、今年の夏は本当に暑い!!尋常ではない暑さに加え、この3年間、新型コロナウイルス感染症で外出制限やイベント開催の中止などで、全国各地のお祭りや花火大会が4年ぶりに開催され、人々は嬉々としてあふれるように外に出て、祭りを楽しむ熱気でヒートアップしているようにも感じております。この暑い夏でも子どもたちにとっては、毎日が冒険!色々な虫たちの出会いや、みんなで栽培した野菜たちがぐんぐん大きく成長して行く様子に驚いたりと、様々な出会いが大きな学びを与えてくれているようです。
さて、今月のお話は何にしようかしらと思っていて考えている私の耳元に、セミたちのにぎやかな声が聞こえております。じっと聞いていると、せみ時雨の様にミンミン、ジージーと鳴いているかと思えば、時々大きな声で一斉に鳴き出す。それを聞きながら先月のお盆の日のことを思い出しました。
7月15日のことです。私たちの園の中心は浄源寺という浄土真宗のお寺です。その元住職である父(理事長)は、毎年お盆と1月の御正忌には、歴代の住職のお墓に行きお参りをするのです。そのお墓というのが楠木原という地区の奥まった林の中に苔むしてたたずんでいるのです。90歳を超える父なので今年は私もついていくことになりました。
田んぼの畔をわたり、うっそうとした林の入り口まで行く細い道はデコボコや急斜面があったりするのですが、小径の周りの草は地区の方がきれいに払っていてくださったので安全に歩くことができました。林の中は日を遮られていたので少しだけ気温が低く、森林特有の香りがしました。そして、せみ時雨が林の中いっぱいに聞こえておりました。
父は97歳になります。私は来年もここへ父は来れるのかなと思いながら、お墓に水をかけ、花を手向け、お線香をたき、そのお香の紫色の細い煙を見ながら、スマホで録画をしておこうと思い読経が始まるときからカメラを向けておりました。
誰もいない林の中で父のお経の声が静かに、せみ時雨とコラボするかのように響いておりました。読経が終わりにかかるころ、「南無阿弥陀仏」と繰り返し唱える部分にくると、
林の中のセミたちが一斉に大きな声で鳴きだしたのです。父のお経の声も聞こえなきくらいに。私はカメラを回しながら不思議な感覚になりました。林中のセミたちがあたかも一緒に「南無阿弥陀仏」と唱えているかのように思えたのです。
私の頬に知らないうちに涙が流れ、言葉に表現できない感情があふれていたのでしょう。
お経というものは人間の言葉で人間が唱え、人間のためにあるものだと思っていたのですが、そうではなく、また、亡くなった方のためや、仏様を敬うためだけでもなかった。
林の中のすべての命あるもののため、この世界のすべての命と共に生きているという謳歌の様だと思えたのです。
偶然だといえばそうでしょうが、その偶然をどのように受け止めるかで人は学ばせてもらえるのではないでしょうか・・子どもたちと虫たちの偶然の出会いで学びが始まるように。
はじめまして
毎月、園長の「独り言」的なブログを更新しております。このブログは園長本人が感動したり、考えたり、思ったりしたことを綴るもので、これが正しいとか人を諭すようなものでもありません。「園長ってこんな考えをするのだ」、とか、「こんな人なのかな」と、少しでもお判りいただき、私たちの目指す乳幼児教育についてご理解いただければと思っています。