園長のひとりごと

園長のひとりごと11月号「 能登半島募金 ありがとうございました」

やっと日中も涼しい風が心地よく感じる日々になりました。思い出してみれば、6月中旬から、気温はぐんぐん上昇し、8月、9月、10月と35℃を超える日々が続きました。 「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言葉は全く当てはまらないように、お彼岸にも彼岸花が咲くことを忘れたのか、蒸し暑い日がまだ続いていました。 そして、11月の声が聞こえてきて「涼しいね!」という言葉がやっとピッタリのようなこの頃ですね。例年ならそろそろ木枯らしが吹きそうですねなんていう会話が交わされるところなのに、コートなどが並んでいる洋装店の店先に、手に取ってみるなど、そんな気にならないのは、皆さんも感じていらっしゃることでしょう。
でもなぜこのような気候になったのでしょう。北海道では、サンマもシシャモも捕れなくなって、本来は捕れてなかったブリが大量に捕れて、東京湾の海底では、サンゴや色鮮やかな熱帯魚が生息しているとニュースで言っておりました。私たちの星、「地球」に何が起こってるのでしょう。  
そのようなことを考えている中で、能登地方で大きな水害が起こり、1月の地震で避難所生活を強いられ少しづつ元の生活に戻ろうとされていた人々が、またしても心が折れてしまうほどの恐怖と失望のどん底に陥れるような災害に襲われるなんて・・・・これも、地球規模の異常気象が起こしたのではないかと考えられます。

そして、先日皆様にお願いして呼び掛けた募金が4園で合計、200,000円となりました。 1月にもお願いし、今回と重ねてのお願いにもかかわらず、皆様方から温かい多額のご支援をいただいたことに、本当に心から感謝申し上げます。 その様な募金の入った袋にはやっと字が書けるようになったお友達が、一字一字丁寧に、「楽しい保育園の日々を送ってください」と書かれているものもあり、 募金の呼びかけのお便りを子どもさんと一緒に読んで、その想いを親子で届けようとしてくださったんだろうなぁーと思えるものもありました。 私たちはまず自分自身が安心安全であればいいと考えがちで、他の方たちが様々な被害や困難な状況にある姿を見ても、興味や関心を示すことをあまりしなくなってしまっていると感じる事があります。
また、そのような状況を見て「可哀そうに」と思う心のどこかで「自分でなくてよかった」と安心していることもあります。それでもなんとか「可哀そうに」と思い、「私に何ができるの、何もできないよね」と、通り過ごしてその想いを流してしまいます。
でも、「何ができるの」と考えている時に、街頭で「お願いしまーす」という声を耳にして、「あっ」と思い、足を止め財布の中の小銭を募金箱に入れる行為が生まれる事もあります。 この一瞬の心に灯る「あっ」という想いで足を止める事があるのかないのかで世界は変わるのではないかと私は思うのです。なんて大げさな! そうなんです、その大げさな、おおきなことが、一瞬の「あっ」にあると思います。 「あっ」と思って投げ入れた小銭が「あっ」「あっ」・・・・と、たくさん集まり、絶望の淵にいる人の心に「助かった」「ありがとう」という気持ちが生まれる事もあるのです。 その「助かった」「ありがとう」の気持ちが、その人が絶望から立ち上がった時に、目の前にいる困っている方に手を差し伸べてあげたいという気持ちに繋がるのではないでしょうか。 私は人の心の豊かさはこの一瞬の「あっ」という想いを行動に移せるかどうかで生まれるのではないかと思うのです。
先ほど親子でメッセージを書きながら「あっそうだよね」と募金をしてくださった姿が募金袋をみていると、はっきりと私の脳裏に動画の様に浮かんできて、「あっ」と思ったのです。 お手紙を書いて送ろうと、きっと子どもさんがつぶやいたのではないでしょうか?そしてその小さなつぶやきを「そうだよね」と、お母様やお父様が受け止めて、私の手の中にある募金袋になったんだろうなぁーと・・・・・・募金袋をしみじみと眺めながら思いました。・・・・「ありがとうございました、私の心を潤していただいて」と、能登に届く前に、私の心に届きました。

園長のひとりごと10月号「 子ども基本法 」 

あの”うだるような“暑い夏が、ようやくすぎて、朝晩は秋らしい気配になってきました。

 今年はあまりの暑さで彼岸花の開花も遅くて、お彼岸が過ぎてから見ごろを迎えています。いつも、彼岸花が咲いて「お彼岸が来たよ」と、教えてくれていたのに、地球の温暖化は日常の「いつも」に変化を及ぼしてしまいます。

8月から9月にかけてゲリラ豪雨や台風、地震といった大きな災害が各地で頻繁に起こり、特に能登半島では、1月の地震に続き豪雨による土砂崩れや家屋の浸水・崩壊など、本当に心が痛くなるほど気の毒で、皆様に今一度募金のお願いをさせていただきたいと思っております。その時にはご協力をお願いいたします。

 

 さて、今月は私たち認定こども園や保育所の所管を行う「こども家庭庁」「こども基本法」について少し述べさせていただきたく思います。

この国の乳幼児期の育ちを支える代表的な施設として、幼稚園・保育園・認定こども園がありますが、これらを所管する省庁をご存じですか?

令和5年までは、幼稚園「文部科学省」、保育園「厚生労働省」、そして、それを併せ持つ施設として誕生した認定こども園は「内閣府」でしたが、令和5年4月に子どもの様々なことに対する司令塔を一本化するということで、「こども家庭庁」が創設され、現在は幼稚園「文部科学省」そして認定こども園と保育園は「こども家庭庁」に代わりました。

先月、新しい保育の研修会が東京大学で開催され、わたくし王寺も安田講堂で、自見はな子参議院議員やこども家庭庁の課長と対談やシンポジウムで登壇させていただいたときに、自見議員から「子どもの成育を社会全体で支えるための法律を作らねばならないと考えて、子どもの権利条約を土台に、子ども基本法が作られた」と、制定までのお話をされました。

 

皆さんは子ども基本法が制定されたことをご存じですか?

◆どうして子ども基本法を作らなければならなかったのでしょう?

 


「権利の主体は子どもである」というように、子どもをめぐる環境の深刻化に対して大人の視点だけで解決を図るのではなく、当事者である子どもの視点を尊重すること、子どもの権利を包括的に保障するために制定されました。

 

◆どのような内容なのかな?

 


6つの基本理念

  • すべてのこどもが大切にされ、 基本的な人権が守られ、差別されないこと。

 

2,すべてのこどもが大事に育てられ、 生活が守られ、愛され、保護される権利が  

守られ、 平等に教育を受けられること 。

 

  • すべてのこどもが、年齢や成長の程度に合わせて、 自分に直接関係することに

意見を言えたり、 さまざまな活動に参加できること。

 

  • すべてのこどもの意見が年齢や成長の程度に合わせて、大事にされ、こどもの今

とこれからにとって最もよいことが優先して考えられること。

 

  • 子育てをしている家庭のサポートが十分に行われること、家庭で育つのが難しい

こどもに家庭と同じような環境が用意されること。

 

  • 家庭や子育てに夢を持ち、喜びを感じられる社会をつくること。

 

以上のような内容で、子どもは皆、平等に育てなければならないとか、愛され守られる存在であるとか、すごく当たり前のことが書いてあるように思うのですが、ふと日々の子どもとの生活の姿を振り返ってみると・・・・

 

  • 子どもに意見を聞いていますか?

私たち大人は子どものためにと思って、安全に安心して過ごせるためにと、ついつい大人の判断で何事も決めていないでしょうか?

子どもはなぜそうしたいのか、子どもは何を考えているのか、聞いてみないとわからないのです。

   

  • すべては子どもにとってどうなのか?をいつも考えていますか?

難しい漢字やことわざを覚えさせることって、子どもにとっていま必要ですか?

すごく難しい数式や化学式って今子供に必要ですか?

きっと難しいことが好きな子どももたくさんいるでしょうが、「今この子に必要なのか」を考えてみること、そして「どうする?」と、子どもに意見を求めることを法律で制定されているのが子ども基本法なのです。

 

このことは、今までの子育て支援の在り方をも変えてくれる可能性があると思うのです。子育て支援と言いつつ、労働力確保のために長い時間施設が子どもを預かることや、病気の時にさえも施設で預かることを子育て支援と社会は言っていました。

でもこれからは、「こどもの気持ちや、こどものことば」を大切にすることも同じように大切だよ!って、子どもの視点に立ってくれる社会ができるのです!

 

安田講堂で私は自見議員とこども家庭庁の課長を前にして、声高らかに宣言しました!

                                                (文責 NO

園長のひとりごと9月号「 子どもの時にだけ育つ脳の働き 」 

今年の夏は記録的な暑さに毎日うんざりさせられ、また、このひと月では、大きな地震をはじめ大きな台風(とんでもないほどの迷走と速度)線状降水帯による ゲリラ豪雨と、今までにない災害が集中的に起こりました。幸いにも私たちの住む地域では大きな被害は見られなかったものの、九州をはじめ日本各地では 大変な被害が出ています。  私の幼い時は気温が30度を超えたとニュースで報道されていたことを思い出しますが、50年を経て気温は40度に達するほど上昇していることを 目の当たりにしますと、やはり地球規模で気候変動が起こっているのではないでしょうか。このままの状態が続くと50年後に日本の夏の気温は50度に なってしまうのでは・・・・、そうなってしまうと私たちの生活にも大きな変化が必要となり、この国には四季という美しい自然の移ろいがなくなってしまいそうですね。 なんだか寂しく悲しい気がします。  さて本日の独り言は、先日「全国認定こども園協会関東地区地域活性化研修大会」に参加して、京都大学大学院教授の明和政子先生の講義から得たお話を ご紹介したいと思います。 明和先生はヒト特有の脳と心の発達、比較認知発達化学という分野を世界に先駆けて開拓した脳科学者です。京都大学と言えば霊長類(チンパンジー等)の 研究では日本随一なところだと認識していて、私の大学院修士論文のテーマであった「乳幼児の造形教育と身体の発達」を書く時にも、様々な研究論文を 参考資料として使わせていただいたのですが、子どもの脳と心の発達までは到達することができませんでした。今回の講義の中で特に印象深く残っているのは 「子どもの脳は大人の脳のミニチュアではない」と、言うことに深い感銘を受けました。私たち大人の脳にはない特別な働きがあるということです。 それはヒトの脳が育つには25年もかかるということで、言い換えれば脳はヒトの年齢で育つ部分が違うということです。もっといえば、子どもの時にしか 育たない部分があるということですよね。  ヒトの脳には「収束的思考」の集中ネットワーク(何かを集中してやっているときに働く脳)と、「発散的思考」のボーっとしているネットワーク(日常的に いつも何気なくやっているときの脳)例えば散歩をしているときやシャワーを浴びているときなどの状態の脳のことだそうで、何も考えていないような 状態ですが、多くのひらめきは、このボーっとしているときの脳の働きで生まれるのだそうです。そして、そのひらめきを「創造的思考」という気づきネットワークが 集中ネットワーク、つまり収束的思考につなぐ大切な働きをしてくれるのだそうです。そして、ここがとても大事なところですが、このひらめきを繋ぐ「創造的思考の脳」は、就学前(0歳から6歳)にしか育たないというのです。 「大人になってからわかるようになる」「大きくなればできるようになる」ということではなく、まさに皆さんの子どもさん達の年齢にしか育たないと言うことなのです。  ではどうしたら「創造的思考」は育つのでしょうか?明和先生ははっきりとおっしゃいました。「子どもが一心不乱に遊んでいるときにその脳は生まれるのです」 「体験を通して感動することで育つのです」  そして最後に、「ヒトとチンパンジーとの大きな脳の違いは、人は感動することができる脳の働きがある」とおっしゃいました。 これは、特別なことをすることではなく、真っ赤な夕日が山際に沈んでいくのをお母さんと見た時、龍門の渓谷で縞々のきれいな小石を拾い上げた時、 龍門の水辺でカニのお腹から小さな赤ちゃんガニがいくつも、いくつも川の水の中に出てくる瞬間を見た時、子どもたちの瞳は大きく見開き、「すごいね!!」 「きれいだね!!」って声に出していました。 その瞬間にきっと生まれたのですね、創造的思考の脳が・・・・・今年の夏も・・                             N・O(文責)

園長のひとりごと8月号 「 リスペクト 」 

記録的な猛暑が続き、毎日のあいさつは「暑いですねー」が、朝も夜も聞かれています。

子どもたちの園での生活は少し気温が低い午前中に園庭で遊び、毎日のように園のプールや龍門での水遊びに興じ、みんな元気いっぱいで暑い夏を楽しんでくれています。

 さて、今月の独り言は、やはりパリで行われているオリンピックの事ですね!皆さん方も、日本選手の活躍に毎晩遅くまでテレビでの応援が続いて、少々寝不足気味ではありませんか?柔道や体操は特に日本のお家芸と言われるほど、毎回オリンピックではメダルを団体や個人で獲得されています。死闘ともいえる戦いを繰り広げている選手の姿に胸が熱くなり、パリまでは聞こえないけど大きな声で応援をしている私です(たぶん日本国民の多くはそうでしょう)そして私は、その戦いの場面で日本人の心根の美しい姿にもう一つの感動をおぼえます。

男子体操団体で点差が開いている中、「あきらめるなー」と、何度も何度も大声で各選手を鼓舞するキャプテン、最後の種目の鉄棒で逆転の演技を終えて大歓声が響く会場に、次の演技者のために「静かにしてください」と促す橋本選手。柔道では連覇を果たした阿部選手が畳を降りるときに、正座をして深々と礼をする姿に会場の中に一服の清々しい「気」が吹いたように感じました。

まだまだ多くの場面でこれからも目にすることと思います。人はなぜこのような行為ができるのでしょう。私はこれこそが「非認知能力」を大切にしてきた日本文化の礎ではないかと考えます。

私事より人のことをおもいやり、想像することを美徳としてきた日本人の生活文化意識があったからではないでしょうか。どんなにつらい時も、どんなに苦しい場面でも、他の人に対する尊敬の念を忘れない心根が、現代の若い選手の中にも息づいているのです。

日本人は古来より生きとし生けるものすべてに尊敬の念を持つことを信条として、歌を詠み自然を崇め、先人たちを大切に思ってきたのです。

仏教では「生かされている」というところではないでしょうか。私は自分の力で生きているのではなく、多くの人、多くのいのちの恵みで、生きさせてもらっているというリスペクト(尊敬)だと思うのです。

 先日、佐賀県で私立幼稚園連合会の九州地区研修会が開催され佐賀文化会館で九州中の園長先生や保育者の皆さんが集う会の開会式が執り行われました。佐賀県知事や県会議長の方々も参加される中、母が「幼稚園讃歌」を歌ってほしいとの依頼がありまして歌うことになったのです。母は「こんな年寄りが出て歌うなんておかしかろうもん」と辞退しようと言っていたのですが、私と娘は母が歌うことこそ意味があると説得し当日を迎えたのです。それは、91歳になる年齢まで子どもたちのことを想い、子どもたちのために生かされてきたことは、母一人の力ではなく、多くの子ども達や多くの方々の想いがあって今日を迎えている事への感謝と、母に歌ってほしいといわれる佐賀県の幼稚園の先生方が、母たちの時代を生きた人たちが今の幼稚園を支えてきたというリスペクトの想いがそうさせているということ。そして、いま、

保育に携わる方々へ70年間やってきた母の姿がきっと勇気と元気を与える、一つのエールになるのではないかと思ったからです。

会場で母の歌う番が来た時司会者から、「91歳、今も現役で平安こども園の園長」という紹介に会場がどよめきました。歌い始めるとその声量に誰よりも驚きの表情を見せていただいたのが佐賀県知事でした。無事に歌い終えると割れんばかりの拍手が母に贈られました。

そのあと、多くの先生方から「涙が出て、何とも言えない感動をおぼえました」と声をかけられました。

あらためて、私や娘が今あるのは両親の今までがあったからと深く感じるひと時でした。

                                                                                 N・O (文責)

園長のひとりごと7月号 「ことば」について考える

今年も梅雨のシーズンになり、毎日の雨の日がちょっと鬱陶しい私たちに、路地に咲く紫陽花がさまざまな色合いで雨のしずくを輝かせ、私たちの心を少し和ませてくれているようです。今月号から「園長室だより」を「園長のひとりごと」に変えさせていただきたく思います。「おたより」となれば、少し皆さんに情報を提供するなど「教える」という意味合いが強くなりそうなので、「ひとりごと」にすれば、「ああ、こういう考えもあるのか」っと読んだ方に「ふわっ」と

伝わればいいかな、と思ったので、よろしくお願いいたします。

さて、今月は6月に私が体験したことから、私なりに感じ、考えたことを書いてみたいと思います。毎年6月は認定こども園協会の総会・トップセミナーを東京で

開催しております。本当に毎日のように準備でオンラインの会議があり、全国の方々とお話しました。

また当日も多くの参加者の方々と言葉を交わし、セミナーで登壇していただいた、講師の先生方とも言葉を交わします。今年のテーマは「こどもまんなか社会の実現にむけて」にし、京大教授柴田先生、そして、子育て支援に先進的に取り組む大分臼杵市中野市長・今治市徳永市長のお話を聞くことにしました。

柴田先生は世界のデーターを基に「こども期に親から虐待を受けると、将来、人間関係に困難を抱えたり、雇用や収入が不安定になったりし、幸福感が低くなる」と話され、その言葉に衝撃を受けました。また、お二人の市長は子どもたちのための施策をご自分の言葉であつく話されました。その熱量あふれる言葉にご自分で構築し実現されたんだと強く伝わり感動しました。 

そして、私は子どもたちが発した言葉を思いました。

運動会の日に「私は金メダルが取れなかったけど、○○ちゃんは取れてよかったね!」とか、私が「靴をくつ箱に入れないと、鬼さんが持っていくよー」といったことに対し、傍にいた子が、「靴もお日様にあたって暑かろうね」といった言葉。どれも、小さな子ども達が私に語りかけた小さなつぶやきの言葉ですが、

心にしっかりと刻まれています。

先日、子どもの居場所Kids Spaceルンビニーの小学生がこんなことを話してくれました。

「俺さ、このまえ友達と喧嘩して、学校から逃げ出したんだ」「えっ!先生たちびっくりしたでしょう」「うん!それで、探してたんだって」「そうだよ、そんなことしたらみんな心配するから」「それでさ、校長がさ、今度こんなことしたら警察ざたになるよ!って、脅すんだ」と、こんなやりとりの言葉でした。先生たちがとても心配していたことは本人もよくわかっていたのですが、最後に言った「脅すんだ」の言葉に悲しさと何とも言えない虚しさを感じました。

先生たちが心配していたことが伝わってないばかりか、先生の言葉は、彼の心には脅し文句として響いたのです。

 言葉は我々の生活になくてはならないものですが、発した言葉がどのような形になり、他の人の心に届くのか。届いた形は私たちには見えません。

心が熱くなるような叱咤激励に届くのか、さげすむように届くのか。

だからこそ、言葉は大切なのですね。丁寧に届くように紡いでいかねばと思います。

最後に・・西蓮寺 中川正法先生の「仏教を知ろう」より

 「他人との出遇いが 私との出遇い」

自分のことは自分が一番よくわかっていると思っています。でもそうでしょうか。

仏教では、一番遇うのが難しいのは、この「私」だと説きます。多くの他人と交流し、たくさんの体験を重ねてみませんか。それが自分自身を映しだす鏡となって

「本当の私」(わが身の事実)との出遇いにつながるのです。

                                                                                           N・O  (文責)

園長のひとりごと2024年6月号「皆さんへの表彰のご報告」

町中の田んぼに水が張られ、カエルたちの大合唱が聞こえてきました。田植えのシーズンが到来しましたね。

先日、ルンビニー幼稚園とあかさかルンビニー園の年長児とその保護者さん達、総勢150名の皆さんで岳の棚田で田植えをしました。子ども達はもちろんですが保護者の方々も田植えを経験したことがある方はほとんどありません、また、町の田んぼは区画整理ができていて、大型機械で田植えをするので、「手植え」もあまり見られなくなって初めての方が多かったようですね。岳地区は農業の後継者が不足して、数百年続いてきた棚田も存続の危機に陥っています。私たちはこの町の棚田文化を子どもたちに経験してもらい、後世へつなぐきっかけになってほしいと思って始めました。田んぼから

見下ろす有田の町は小さくかわいらしい町ですが、棚田と同じように窯業の文化が脈々と続く美しい町です。農業も窯業も未来はこの子どもたちに託さなければなりません。美しい自然の中で培われてきた文化を、この先永遠に繋いでほしいと思いながら、小さな子どもたちが親指と人差し指、中指で苗を植える姿が愛おしくまた頼もしく感じるひと時でした。

 さて、今回のお便りは去る5月29日「令和6年度佐賀県県政功労者知事表彰」をいただきましたことを皆様にご報告したいとお便りに致しました。

 この表彰は私個人が受けたものではなく、これまで園の運営に携わってこられた多くの職員や役員の皆様、そして、たくさんの園児の皆さんと保護者の方々の乳幼児教育の深いご理解とご尽力の賜物だと思います。

ルンビニー幼稚園は父(原田量英)が昭和29年に開園し、平安保育園をその後に設立し、母(原田洋子)と共に有田の町の(西有田も含む)子どもたちの乳幼児教育を担ってまいりました。そして、平成11年(1999年)にあかさかルンビニー園を日本で初めて、学校法人と社会福祉法人が一体となった現在の「認定こども園」を開園したのです。

当時は前例がないことづくめで、法律もなく幼稚園の「学校教育法」と保育園の「児童福祉法」という2つの法律をすり合わせながら国と手探りで運営していたことを思い出します。また、日本中の幼稚園と保育園から「やってはいけないことをしている」と、反対され困難な状況でした。

しかし、私たちは「なぜ、同じ日本の国民の子ども達なのに、親の就労で幼稚園と保育園に分断されなければならないのか」「なぜ、同じ日本の子ども達なのに、子ども一人に対する国の予算が大きく違うのか」「なぜ、同じ子どもなのに幼児教育と福祉に分けなければならないのか」、と国や県に問い続けました。

そして私たちは、「この国の子どもたちはどのような地域においても、また、どのような環境下でも

皆等しく質の高い乳幼児教育と福祉を受ける権利がある」と話し続け佐賀県の特区を受け、今日の認定こども園が誕生したのです。その時も当時の知事さんが「あかさかルンビニー園の子ども達や保護者の皆さんの姿をみて、これが未来の姿だと確信した」という言葉をいただき特区をとってくださったことを思い出します。だから、今回の表彰は

これまで多くの方々の皆さんがお受けいただいたものと本当に深く感謝いたします。そして、この町の文化と同じように、未来へ子どもたちが繋いでくれることを願っております。この国の認定こども園の数は現在10,000園を超え、幼稚園の数を超えました。

                                   O・N  (文責)

園長のひとりごと2024年5月号「うそをつくことについて」 

今年の春は、何だか急ぎ足で過ぎてしまいそうに思えるように、急に気温が高くなったり下がったりと目まぐるしく変わる日々ですね。 そして、入園・進級式の日から間もなくひと月が過ぎようとしております。子どもさん達は新しい環境に少しづつ慣れてきて、 新しく友達もでき楽しく遊ぶ姿が見られてきました。  さて、毎月のお便りの中で「園長室だより」として、全園の皆様に理事長の王寺が前理事長・園長の後を引き継いで昨年度から このようにお便りを差し上げております。このお便りは、私王寺が子どもたちの姿から思ったことや感じた事、社会の日常から 感じた事や想いなどを自由に書かせていただいております。 そしてこのお便りで、園を運営する者がどのようなことを考え乳幼児教育保育に向き合っているかや、人間性などを お判りいただければと思い書いております。ですから、この考えが正しいとか、正しくないとかではなく、この様に考える人なのかと いうことをご理解いただき、私もそう思うとか、いや私はそうは思わないなど保護者の皆様にも、自由に受け止めていただければと思います。 年度当初にいつもこのように皆様方にお伝えしていましたのに、4月号で申し上げてなかったので、今年度は5月号でまず お伝えさせていただきました。  では、今月は「ないおん」という月間の小冊子からの話をご紹介させていただきます。   「うそをつくことについて」(西川 正晃 聖徳学園大学教授) うそをつくことについて、皆さんはどう思われますか。私自身、子どもには「うそをついてはいけません」と伝えています。嘘をつくことは いけないことだと、自分でも思います。でも、うそをつくことについて、考えさせられる出来事がありました。 小学校低学年くらいの女の子とお母さんが、電車に乗って座っていました。しばらくすると、駅についた電車に、妊婦さんが 乗ってこられました。親子の横に座っていた高校生が、席を譲ろうと立ち上がりました。妊婦さんは「私は大丈夫です」と遠慮されました。 すると、「次の駅で降りるので、どうぞ」と席を譲りました。そして次の駅で降りていきました。その高校生を目で追っていた女の子は、 降りたはずなのに一両後ろの車両に乗り込んでいたのを見ました。「お母さん、あのお兄ちゃん、また電車に乗ってきたよ。 どうしてうそをついたの?ねぇ、どうして?」と母親に尋ねました。母親は、「あら、そうなの」と返事をして、にこにこされていました。  うそをつくことについて、どうしてそのうそが出てきたのかを考えることは、とても大切なことではないでしょうか。自分の欲や見栄、 世間体ばかりを考えて出てきたうそは、まさに利己的な生き方です。しかし、相手を思いやったり、相手の気持ちを大切にしたりするための うそは、多くの方を思いやり、大切にしていきたいと誓われた阿弥陀さまのお念仏の世界にかさなります。   仏様の教えは、自分だけを大切にするのではなく、周りの人の喜びや悲しみを分かち合おうとする教えです。そのように生きることが できるのであれば至らないなりに仏様に支えられつつ、至らないなりに精いっぱいよりよい生き方をしようとし、自分の良さを 最大限発揮できる生き方につながってくるのではないでしょうか。  うそをつく・つかないという結果だけを問うのではなく、そのうそに込められた願いに気づくことが大切なのです。この女の子が、 うその意味に気づくのは、もう少し後からかもしれません。    今月は、西川教授の言葉から「うそをつく」という行為がすべて正しくない行為ではないことについて考えてみました。子どもも大人も 嘘はつきますが、その行動の意味をしっかり見極めて判断しなければならないのですね。ふっと、お母さんや家族のことを想い 「私お腹すいてないから大丈夫だよ」と、話している傍らに、小さな弟や妹の姿があることを思い浮かべておりました。                                                         N・O(文責)

園長のひとりごと2024年4月号「こどもまんなか」

今年の桜だよりは大幅に遅れて、やっと満開となりました。新しいお友達の入園や進級の日を待ってくれていたのでしょう。有田川にも水鳥の姿は消え、 春の訪れを楽しむように燕が元気に飛び交っています。さあ、いよいよ令和6年度が始まりました!今年度も元気な子ども達の声が響き、笑顔がはじける 日々にしたいと思います。保護者の皆様!どうぞ、よろしくお願いいたします。  さて、年度当初にあたり、ルンビニー幼稚園、平安こども園、あかさかルンビニー園、くわこば保育園の全職員が毎年恒例の、4園合同会議を先日開催いたしました。 まず、4園合同の今年度目標(取り組んでいきたい保育)を、「こどもがまんなか」という言葉にしました。ひらがなで書くとちょっとわかりにくいのですが、 「子どもが真ん中」と漢字を交えると意味がお分かりいただけるかと思います。 この言葉は令和5年4月に制定された「子ども基本法」という法律の理念の中心となるものです。子どもを真ん中に据えて社会全体で子育てを担うこと、そして 家庭での育児も園の保育もこどもをまんなかにおいて考えていこうとすることなのです。今まで特に私のような、どっぷり昭和生まれの昭和育ちの育児や保育は、 指導型教育・保育だったのですが、これからは指導に偏らず、こどもの主体性を大切にしていこうとするものです。指導というものは、指導者の考え方や概念で、 どの子も同じように教えていき、その概念からはみ出す子は矯正していかねばならないと考えることが主流だったように思います。 しかし、こども達一人一人の個性が違うことや興味関心が違うこと、一人一人の特性があることが当たり前であること等を考えてあげて、一人一人の幸せな毎日の 成長を認め喜び合うことこそが、その子の幸せであると考えていくことが「こどもがまんなか」ということなのです。 どんな時も「この子にとって、どうなの?」と、投げかけて見つめて共に生きる事、人と比べる事のない、その子のそのまんまを認める事だと私は理解します。 でもそれは、子どものやりたい事や、やりたくない事を、こどもの言う通りにさせる事というわけではありません。傍らにいるお父さんやお母さん、また、私たち保育者 が、目の前の子どもが何に興味を持ち、何を面白がっているのか、そして、そのことが他者や世界とどのようにかかわろうとしているのかを、大人が子どもの気持ちを共有し 一緒に感じられるような気持ちで子供の成長を捉える視点を持つことが大切であるということを言っているのだと思います。簡単に言えば、童心に戻って、子どもと考えたり、 楽しんだりすることで見えてくる子どもの気持ちや姿、そして成長を受け止める事が「こどもがまんなか」ということではないでしょうか。  我々大人にとって難しいことは、童心にかえることではないでしょうか。ついつい指導をしたくなるのが私たちであり、大人の方々です。大人の概念を払拭し、 「邪気のない子どもの心で、子どもたちの想いを理解し、ともに育みあうこと」という意味で、今年度の目標にしました。 今年度も、保護者の皆様方と理念や目標に沿った、温かな保育の日々を送ります。どうぞよろしくお願いいたします                                                     O・N  (文責)

園長室だより3月号

今年度もいよいよ最後の月となりました。皆様方のご協力のもと、子どもさん達と共に元気で明るい毎日を過ごすことができました。 どの園も子どもさん達のぐんぐん成長していく毎日に、私たちは驚かされたり喜んだりと、本当に保育の仕事に携わる幸せをいっぱい感じる 日々でした。本当にありがとうございました。 そして、3月は年長の子どもさん達とお別れする、ちょっぴり寂しくもあり、旅立つ皆さんを頼もしくも感じるときですね。  さて、先月よりルンビニーや平安こども園では、毎年恒例の「造形展」「ひょうげんてん」が開催されておりました。(くわこば保育園も来年度は やりたいと思ってます)この催しは、年間を通じて各年齢の取り組みを保護者の皆さんにご覧いただくもので、子どもたちの気持ちや感性をアートや 造形で表現するものです。子ども達は大人の様に自分の気持ち(心の想い)を、言葉にすることがなかなかできません。0歳児や1歳児さんならなおさら ですよね。でも、心の想いはアートである描画や造形(形で表出する)では、年齢に関係なく様々な生活の中で表すことができます。 例えば園庭で小枝を拾って地面に鼻歌を歌いながら何かを描いているときに、たくさんの円を描きながらご機嫌な気持ちを私たちに見せてくれます。 また、空き箱をいくつか使って1歳児さんたちは床を連なって動かしては、「シュッシュッポッポッ」と、列車をイメージして遊んでいるときに「これは 僕の大好きな汽車だよ」と、話しているように感じます。そうして私たちは「○○君汽車がすきなのね」って、彼が言葉を発しなくても話してますよね。 この様に作品を作り出す芸術的なことではなく、会話や想いとして感じる「ひょうげんてん」として私たちは皆さんに観ていただいているのです。 今年も様々な子ども達の思いが詰まったアートでいっぱいでした。そのような中、やはり年長組さんになると、友達と一緒に考え相談することができるようになり、あるクラスでは、自分たちのデザインを世界中に発信したいと考え、「インスタグラムをしようよ!」となり、私のところにお願いにやって来てくれました。私はこの便利なツールが子どもたちの日常に浸透している事に驚きましたが、それと同時に5歳であってもSNSの弊害について考えなければと思い「確かにいいアイデアだけど君たちのことが世界中に知られることはマイナスなこともあるよ・・・」と話して、「おうちの方と相談して」と子ども達に話しました。 すると子どもたちはアンケートを作り、うちに帰って話し合うことになりました。このように一つのアートがきっかけで親子の会話・会議は始まったのです。 子どもと話し合うことのきっかけになり、そして、今起こっている社会問題を幼いながらも大人と話すことで、きっと子どもたちは成長と共にもっと考えを深めることができるのではないでしょうか。 また、ある園では先日の義援金のお願いのお便りから、震災についてのことを親子で話し、幼いながらもしっかりと「北陸がんばれ」の気持ちをもっていてくれたことに気づかされ、それが家族みんなの想いになったと、新聞の投稿欄で読ませていただきました。 またある園では、年長さんたちの「ありがとう」の言葉が部屋中にたくさん書いてあり、その中でも「ポストさんありがとう、いつもたくさんのお手紙を持っていてくれて(たぶんこんな感じだったかな?)」とありました。私たち大人は赤いポストがある事は見えていても、その中に入っている手紙の重さで大変だろうなんて考えもできないと思います。  私はこどもと向き合うことは、日常のほんの小さな子どもたちの心の想いを感じる事から始まるのではないかと思いました。  N・O(文責)

園長室だより 2月号 義援金ありがとうございました!!

今年の冬は寒暖の差が激しく、雪が積もる日もあれば、いきなり春を思わせる温かなで穏やかな日もありといった具合で、体調を整えるのに苦労される方もいらっしゃるのではないでしょうか。 そうこう言っている間に、1月が終わり2月になってしましました。子どもの頃は、月日の経つことを「あっという間に」・・なんて感じたことはなかったのですが、年々年を重ねるごとに短く感じるのは、やっぱり年齢のせいかな?  能登半島地震発生から1カ月が経ちました。 まず、皆様からの温かいご支援(義援金)を頂き、昨日「全国認定こども園協会」と「オール石川こども」の2団体に送金することができました。 各園の集計は、あかさかルンビニー園 ¥120.608―(凧あげ参加費を入れました) 平安こども園 ¥26.344―、くわこば保育園 ¥51.500―、KidsSpaceルンビニー(こども食堂)¥ 4.125―、合計202.577円、となりました。ルンビニー幼稚園は1月2週目からインフルエンザが流行っていて、園児さんたちが欠席し、集計がまだできないので、第2弾の時に送りますとのことでした。くわこば保育園のお友達からはお手紙まで入っていましたので、この紙面で載せました。本当にありがとうございました!!  さて、地震発生から石川の状況をオンライン会議で確認しながら支援を考えてきたところですが、おかげさまで今週月曜日の会議で、「オール石川こども」への義援金は2000万円を超えて集まり、物資も水が10トン以上集まりおむつやミルク等もかなりの数集まりましたと報告がありました。一応、物資はかなり集まったので、断水がどのくらい続くか未定でありますがここでストップをかけたいということです。また、義援金は第1弾として集計し、まだまだ被害状況がどの程度のものかわからないので、もしかしたら第2弾として時期を見てまたお願いしたいと考えているとのことでした。全国認定こども園協会のほうの義援金も、500万円を超えて集計できたとのことで この義援金を被災された園に分配するとのことでした。 また、能登の状況はかなりの市町で断水が続き、3月、4月まで復旧できそうにないとの報告があり、輪島や穴水、七尾市では、こども園や保育所を中心に一時預かりやエッセンシャルワーカー(看護師・自衛隊・警察・医師・保育者・教諭などの社会的労働者)の子供さんの預かりから、だんだん普段の保育に戻りつつあるが、断水で給食の準備ができないという声もありました。 さらに深刻なのは、各園児さんたちが様々な避難所や県外避難など二次避難などをされているのですが、園や各自治体の子ども課等でどこに子どもたちがいるのか(どのようなところで避難しているのか)把握できないのだそうです。 各園の先生たちは、子どもたちは無事なのか、ちゃんとご飯は食べられているのかしら、温かな場所で安心して過ごせているのかしら、と、一日も子どもたちのことを考えない日はないとおっしゃってました。園に戻ってほしいけど、このような状況では・・・・・ともお話しされました。 以前にもお話したかもしれませんが、幸せや平和というのは、日常が守られている、日常を過ごすことができているっていうことなのだとつくづく思います。私も含めて人は、もっとお金があったら、もっと仕事が来たら、もっと、もっと、もっとと、限りない欲望を求めて「もっとこうなれば、幸せになれる」とか、「平和になれる」と思いがちですが、そうではなく、今ある日常を過ごせることに幸せがあり平和があるのだと改めておもいました。 N・O(文責)

園長室だより 2024年1月号 「 能登半島震災の被災地の皆様に心からお見舞い申し上げます 」

新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。今年の元日は、能登半島を中心とした大きな地震が発生し、穏やかなお正月が深い悲しみと恐怖にかわりました。 地震と津波がもたらす被害は徐々にその全容を我々に見せ始め、なぎ倒された家々や無残に引き裂かれた道路、海岸端に転覆する船、いたるところにその爪痕は、まざまざと自然の脅威として、私たちの心にその姿を突き付けてきます。がれきと化した自宅の前で懸命に家族の名前を呼ぶ声、お正月の団らんで笑いあっていた声が一瞬にして叫び声と変わってしまうなんて、だれが想像できたでしょう。 私の自宅は伊万里の東山代で、伊万里湾の近くです。テレビの速報を見ていたら、夕方5時前に大きなサイレンが鳴り、防災無線から、「津波警報発令、海岸近くにいる人はすぐに離れてください」と、聞こえてきました。今、能登の速報画面を見ていたのに、ここにも(伊万里)にも津波の影響が・・・・と、驚きました。 犠牲となられた方々に深い哀悼の意を表しますとともに、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。 私は今全国認定こども園協会の代表をさせていただいていますので、2日から5日まで毎日オンラインで役員と石川支部の方々とミーティングを行い、状況を確認し何かできる事がないかを話し合っておりました。2日に分かったことは、金沢以北の能登半島地域に被害が集中して、金沢はほとんど影響がないこと。能登半島の多くで停電断水が起こり、道路が壊滅状態である事などでした。今はどうすることもできないということでした。3日には、自衛隊や国の災害対策部隊が入り救援活動が始まってきた事、そして、多くの物資が送られてきている事。ただ、個人での物資は受け取れず、企業のみに限定されている事。それは、必要なものが刻一刻と状況によって変わってくるので、個人の荷物はいろいろのものが詰められていて種分けができないということでした。企業であれば例えばキリン株式会社からは飲料水のケースというようにできる事だということです。また、物資の確保できるスペースが必要になる事も含め対応に準備がいる事。そこで、支部の方々が保育関係の業者(遊具や教材販売会社)と交渉し、大きな倉庫を使わせてもらう交渉をしたということでした。4日には、私と事務局で石川県・富山県の会員園に電話連絡をすることになり、私は石川県全部の園に電話をしたところ、輪島・七尾地区の園は電話がつながらない状態でしたが、金沢やそのほかの地域では繋がり、皆さんお元気そうで安心しました。4日に北海道の有志が穴水に到着し私たちがことづけた、おむつや簡易トイレなどを渡してもらいました。5日には協会中部地区の第2弾有志チームが同じように物資を届ける事が出来ました。5日のミーティングでは、国の災害救助チームが道路の応急工事をし、段差が少し低くなっていたので金沢の有志もなんとか物資を届けられたと報告されたのですが、輪島・珠洲はいまだに一般車両は入れない状態であり、音信不通の状況であるということです。 私は能登半島中間地点の穴水の認定こども園の先生と直接話をすることができ、自宅は崩壊し悲惨な状況であるなか、園が何とか無事で電気も来ていたので、地域の方が45人ほど避難してこられ、園の備蓄していた物資で避難所を開設しましたと聞きました。そして、「日本一の避難所にするぞーと、45人と元気に明るく前向きに考えていこうと、皆で頑張っています」と、話されました。 この4日間、私は直接現地に行ったわけではありませんが、色々なことを想い、色々なことを学び、色々なことを考えました。 どんなにつらいことが起きても、人は生きる希望を捨てない限り、生きることができるのだ! ひとりでは何もできないことが、人と協力をすることで、何かができる! 人は人がそばにいるだけで、いてくれるだけで生きられる。 そんなことを考えました。そして、多くの方々とつながっていることで生きているのだということも改めて思ったところです。 そして、生活発表会で年長組が「手袋を買いに(新見南吉作)」を演じてくれた母キツネの最後の言葉が脳裏を横切りました。 「人っていいものかしら・・・・・」           王寺直子

園長室だより 12月号(2023)

いよいよ師走となり、皆様方には何かと気ぜわしい毎日がやってくるのではないでしょうか?私も何か今年中にやってしまわなければいけない ような、脅迫概念が植え付けられていて、12月31日までに・・・・しなくっちゃ、なんて、自分でバタバタしているように思っております。  さて、各園の子どもさん達は、夏から初冬のこの期間、乳幼児教育・保育活動の充実期として元気に楽しく過ごしてくれました。特に、 各園11月から12月にかけ、「生活発表会」に取り組むなど、子どもさんの成長している姿を見ていただくことができました。  子どもたちにとってこの発表会はどのような意義があるのでしょう。ただ「毎年行うようになっているから」、とか、「昔からやっていることを 止めるわけにはいかない」など、先生たちの考えもそれぞれあることでしょうが、そもそも園は誰のためにあるのでしょう。 「働くご両親のために預かる場所」よりも、「子どもが豊かに乳幼児期教育・保育を受ける場所」ではないかと私は思います。すなわち 子どもの学びの場であるということです。 「子どもは遊びの中で学ぶ」「子どもは体験を通して学ぶ」「こどもは環境を通して学ぶ」と言われます。遊びとは大人のいう遊興ではなく、 毎日の日常での好奇心の追求であり、それぞれの子どもたちが様々なことに挑戦する体験であるのではないでしょうか。私たちは、一人一人が 主体的に取り組む環境を用意しなければなりません。それと同時に年齢に応じて、社会性をはぐくむ環境も整えねばなりません。一人一人と 社会性(大勢の中で生きること)相対することですがどちらも大切なのです。私たちの各園は、発表会を通じて一人一人がやりたいことに挑戦し、 クラスや学年の友達と力を合わせ何かをやり遂げるという環境を用意したのです。 そして、それぞれが挑戦することを選び取り組む様子や、友達と最後までやりきるところを皆さんの前で発表の形でお見せするのです。  先日、年長組の子どもたちに「なぜ発表会をするのだろうか?」と、たずねてみました。 みんなはいろいろなことを発言してくれます「褒めてもらうため」「お父さん、お母さん、おうちの人に喜んでもらうため」など、どの子も 皆さんのために、皆さんが嬉しい笑顔になるようにと口々に言うのです。子どもにとっては、自分の成長なんて意識はないのですね、すべて おうちの皆さんたちのためにという想いから、一生懸命に取り組んでいるのです。 子どもたちがそんな思いの中で活動をしている中、小さいながらも、「うまくいかない」、「何度やっても思うようにならない」、「やってみたら しんどかった」、や、「やった!できた!」といった達成感など、様々な心の葛藤がどんな時も起こるものです。その葛藤こそが成長の源かも しれません。うまくいくことより、うまくいかないことのほうが、私たちがこれまで生きてきた中で多かったと思いませんか?できなかった時 どのようにしてやりきってきたのか、諦めることもあったでしょう、また、歯を食いしばって頑張って乗り越えたこともあったでしょう。 子どもたちにとっては生活の中で人生の縮図のような、幼いながらもこの葛藤という経験をしているのです。だから私たちは「発表会」という場を 環境の一つとして、今も行っているのです。  私が発表会のことを聞いた時、だれか一人の子がこのように言ってました。「あのね、お父さんお母さんを感動させたいの!」と・・・・ 皆さんはこの子がいてくれるから(ご自分のお子さんがいてくれるから)、感動を与えてもらえるのですね。 この子の3歳の発表会も4歳の発表会も、5歳の発表会も、一生にたった1回きりなのです。 もう一度巻き戻したくても、もう2度と見ることができないから、感動するのです。 どうぞ皆様、子どもたちがいてくれること、そしてこんなにも喜びを与えてくれることに幸せを感じていただければ、私たち保育者は 「保育者冥利に尽きる」思いです。 そして、今年の発表会も皆様方のおかげで無事に終わることができました。心から御礼申し上げます。       それでは皆様 少し早いですけど、よいお年をお迎えください。                                                     浄元福祉会・華光学園                                                     理事長  王寺 直子

園長室だより 11月号(2023)

園長室だより 11月号  「幸せの瞬間」

月日の経つのが本当に早く感じております。今年も残すところ2カ月となってしまいました。あれほど暑い暑いと連呼していたのが、朝晩はブルっと震えるほど、秋が日増しに深まって来ましたね。県内外では4年ぶりの秋のお祭りが各地でにぎやかに開催されていて、やはり秋は浮立の音色とおみこしや山車の「ワッショイ!」や「えんやー!」の声が一番似合います!先日の「有田くんち」ではどの園も、元気いっぱいに「くんち」に色を添えてくれました。とっても可愛いかったですね!!

さて、私たちの日常は、こんなにも楽しく穏やかに過ぎているのですが、世界に目を向ければ、ウクライナとロシアばかりではなく、イスラエルとパレスチナまでもが争いを始めてしまいました。毎日のようにニュースで流れてくる映像に、瓦礫と化したガザの町や痛々しい姿で病院に搬送される多くの子供たちや市民の姿に、私は無意識に手を合わせてしまいます。色々な理由があることだとは思いますが、どんな理由があったとしても、戦争だけはやってはならないと強く思います。何千何万の子供たちの未来が一瞬にして奪われている現実が同じ時間を共有して生きている今まさに起こっているのです。

私たちの町に、ガザやウクライナの様にたくさんのミサイルが撃ち込まれてきたら、どこにどう逃げればよいのでしょう。ニュースの映像に映る子どもたちの不安と恐怖におののく表情が、私たちの子どもたちの表情だったら、私たちは何をしたらいいのでしょう。そんなことを考えると、この穏やかな日常がとても貴重なものであることを思います。家族がそろって食卓を囲み色々な話をしながら食べる夕食。子どもと一緒にお風呂に入り大きな声で笑いあう日常。美しい月を愛でながら空に散らばる星々に夢を語り合う秋の夜。静かな夜半にスースーとかすかに聞こえてくる子どもたちの寝息。何気ない毎日の営みの中に穏やかな時間が流れていることにさえ、当たり前だと思って過ごしている私たちなのですが、その当たり前な時間こそが、かけがえのない大切な時間なのではないでしょうか。

そして、このかけがえのない時間を「幸せ」と感じ、心から感謝の気持ちを持てるような私たちであらねばならないとつくづく思うのです。

先日、有田町の日常を紹介する小冊子が刊行されました。有田の魅力を発信するためのPR誌を数名のデザイナーさんたちが編集されたものです。「A町 とある町、有田町の一日」というフリーのphoto Zineで、手のひらにのるサイズの小冊子なのですが、ページをめくると何気ない日常が素敵な1枚の写真に収められていて、1枚1枚めくるたびに、何か温かな想いが伝わってきます。ここ数日、いえ、ここ数年間何かしら世界情勢の不安定感と人間の醜い様に心がすさんでいた私に、一服の清涼感みたいな、柔らかく心地いい風が吹いてきたように感じて、涙がでてしまいました。ここに収められている日常がとてもありがたくて、とても大切なんだと思うと、この町に生まれ、この町に暮らしている私自身が愛おしく、また、この町に住む人々が愛おしく思えるのです。

うまく言葉に表せないのですが、小さな冊子の中に大きく息づく幸せの瞬間を感じたので、皆様にもご紹介したくてお便りにしました。       NO

園長室だより 10月号(2023) 秋の夜長に・・・

曼珠沙華(彼岸花)の花が真っ赤に咲き、今年の暑さにもお別れできるかな?と、期待しているのですが、暑くても食欲だけは落ちない! 益々食べ盛りの私です。やっぱり、食欲の秋ですものね、黄金に実った稲穂が「そうだよ、そうだよ」と、ニコニコ揺れております。  子どもたちは、秋の訪れを感じて「彼岸花を見たよ」とか、「緑のイガ栗が落ちていたよ」と、嬉しそうに話してくれます。日本には 四季の移ろいがあるということを体感してくれています。  さて、今回は食欲の秋も大事ですが、読書の秋ともいうように「子どもと絵本」についてお話してみたいと思います。 毎月各園では、年齢に応じた月間絵本の購読をしており、子どもさん達も園で先生たちから読んでもらったり、うちに帰って保護者の 皆様方から読んでもらうことを楽しみに持ち帰っています。乳幼児の絵本は、読み聞かせが基本です。5歳児の中には「もう字が読めるから 自分で読みなさい」と思われる方もあるかと思いますが、子どもが一字一字を拾い読みしていてはストーリーが頭に入りません。 「む・か・し・む・か・し」と、この様に続かないのですね。さらに言えば、読み聞かせていただいていると絵本に描かれている絵や人物が、 生き生きと動いて見えるのです。(皆さんにはそんな経験がありませんか?) そして、何より、先生やおうちの方々のやさしい声が子どもたちの心に響き、穏やかな心の安定に繋がっていると思います。毎日布団に入る前のルーティンとして、絵本を読んでいただけると子どもたちは安心して眠れるのではないでしょうか。  また、近年ではスマートフォンの進化が目覚ましく本も読めたり、いろいろな情報や動画配信は手軽にスマートフォンでできる時代に なりました。スマホは私たちの日常生活には、なくてはならない必需品になっています。特に近頃では、子守の代わりにスマホを乳児に 見せている方も少なくないと聞きます。乳児は何か動いたり音が出ることに興味津々で、しばらくの間泣くことを忘れてスマホを注視してくれる ので、家事に忙しい時にとっては助かる道具になるのですが、乳児の頃からスマホを見ることが日常化し、スマホの依存が大きくなって しまうと、子どもの脳に大きな影響を与える事も報告されています。スマホを見ていて睡眠時間が少なくなったり、眠れなくなったりしたために、小児用の導眠剤を処方された子どもさんもいると聞いております。子どもが薬を使わなければ眠れないなんて普通ではないことだと思います。 子どもの1日、1日は心も体も成長し続けている大切な1日なのです。便利だからと言って、安易に大人と同じように様々なものを 与えていいのかと思います。  秋の夜長は、時には大人もスマホをポケットにしまって、虫の声に耳を傾けたり、美しい月の光に輝く、薄青い街の風景を静かに愛でる ひと時があってもいいものですね。 そして、子どもの可愛い寝顔を見ながら、少しくらいお茶碗洗うのが遅くなったり、洗濯物をたたむのが遅くなったりしても、 「まっ、いいか!」と、自分を楽にしてあげてくださいね。 私は毎日「まっ、いいか」って、サボってばかりですが・・・                                                      N・O(文責)

園長室だより 9月号(2023) 「素敵な夏をありがとう」

今年の夏は全国的に記録的な暑さが続きました。本当に秋が待ち遠しいですね。 さあ、そうは言っても9月がやってきて、2学期が始まりました。 こども達はどんな夏を過ごしてくれたのでしょう。海や山などに出かけて少し焼けた肌がたくましく感じています。  今年の7月夏休みからルンビニーグループは、「こどもの居場所・こどもが楽しい時間」 として、本町に「kids spaceルンビニー」をオープンしました。小学生を対象にした放課後児童クラブとは少し違う、子どもたちが自分たちで一日の活動プロジェクトを設定し仲間と協力して様々なミッションに挑戦する空間(スペース)を目的とするものです。 まだ少人数ですが20名~30名限定で行いたいと考えております。 毎日、宿題の時間の後は園の子どもたちと龍門に渓あそびに行ったり、スペースの看板を作ったり、色々な活動を決めて元気に楽しく過ごしていました。 そして、最大のミッションが「こどもが作る 子ども食堂・kids kitchenルンビニー」です。本町公民館をお借りして第1回目を8月22日PM17:00~19:00まで開催いたしました。メニューは「冷や汁そうめん・茄子のピザ」で、子どもは無料で中・高生は100円大人200円と設定し、皆で作り方を調べ材料も買い出しに出かけ、野菜を切ったり頑張りました。チラシも自分たちで作り、ポスティングも近所にみんなで出かけていきました。 当日は90食くらいのお客様で賑わい、受付から会場案内、接待など自分たちの役割きめからそれぞれの仕事を私たち大人が指導しないのに、「いらっしゃいませ」「ごゆっくり」や、注文数を「大人2に子ども3」など大きな声で厨房に伝えるなど活き活きと1年生と3年生とは思えないほどの活躍ぶりです。このspaceを始めるときに、保護者と子どもたちに「子ども達が皆で話し合って決める事・大人は口を出さない事」と説明し、担当の保育者にも子どもの意見を尊重すること、議論が迷走したら自分の(保育者)考えを伝えてみる事など、これまで園で行っている幼児教育のやり方で進める毎日を心掛けていました。 自分の意見を話すには、他の人の意見を聞かねばなりません。そして、自分の考えをどのように話したら伝わるのか、相手とどう折り合いをつければいいのかなど、毎日のミーティングや生活の中で子ども自身が獲得していったのです。 こども食堂のお客様の多くが、「こども達の活き活きした姿や、何より子どもが持つ純粋で温かな気持ちが、可愛くて嬉しくて、ほっこりしました。」と、おっしゃっていました。 勿論、お味も「優しくて美味しかった!」と好評でした。 そして、昨日小学校の始業式を終えてspaceの子ども達の保護者さんから、嬉しいことを聞きかした。「学校の先生からお電話があって、夏休みの様子の発表の時にA君が、今までにない明るい生き生きとしたした表情でkids spaceでの毎日を自信をもって話してくれました。すごく楽しかったのでしょうね。」と、また別の方からは「今まで週2回のスイミングを1回にしてください。だって水曜日が一番長くspaceにいられるから、お願い!」と、子どもがお母さんに話したのだそうです。自分の考えをしっかり伝えてくれることが今まであまりなかったので、驚きました」というものです。 たったひと月の体験や経験が子どもたちに自信を与え、人とのコミュニケーションをとる事の大切さを感じさせたのではないでしょうか。このようなことは各園で行った「夏祭り」でも見られていました。 子どもには無限の可能性がある事、こどもには自分で生きる力がある事、そして、大人の考え方や子どもに対する環境がいかに大切であるのか、この夏は私にも子どもたちが教えてくれました。素敵な夏をありがとう!!      N・O(文責)

園長室だより 8月号(2023)「せみ時雨」

 毎日のあいさつが「暑いですねー」で始まるくらい、夏は暑い!のですが、今年の夏は本当に暑い!!尋常ではない暑さに加え、この3年間、新型コロナウイルス感染症で外出制限やイベント開催の中止などで、全国各地のお祭りや花火大会が4年ぶりに開催され、人々は嬉々としてあふれるように外に出て、祭りを楽しむ熱気でヒートアップしているようにも感じております。この暑い夏でも子どもたちにとっては、毎日が冒険!色々な虫たちの出会いや、みんなで栽培した野菜たちがぐんぐん大きく成長して行く様子に驚いたりと、様々な出会いが大きな学びを与えてくれているようです。

 さて、今月のお話は何にしようかしらと思っていて考えている私の耳元に、セミたちのにぎやかな声が聞こえております。じっと聞いていると、せみ時雨の様にミンミン、ジージーと鳴いているかと思えば、時々大きな声で一斉に鳴き出す。それを聞きながら先月のお盆の日のことを思い出しました。

 7月15日のことです。私たちの園の中心は浄源寺という浄土真宗のお寺です。その元住職である父(理事長)は、毎年お盆と1月の御正忌には、歴代の住職のお墓に行きお参りをするのです。そのお墓というのが楠木原という地区の奥まった林の中に苔むしてたたずんでいるのです。90歳を超える父なので今年は私もついていくことになりました。

田んぼの畔をわたり、うっそうとした林の入り口まで行く細い道はデコボコや急斜面があったりするのですが、小径の周りの草は地区の方がきれいに払っていてくださったので安全に歩くことができました。林の中は日を遮られていたので少しだけ気温が低く、森林特有の香りがしました。そして、せみ時雨が林の中いっぱいに聞こえておりました。

 父は97歳になります。私は来年もここへ父は来れるのかなと思いながら、お墓に水をかけ、花を手向け、お線香をたき、そのお香の紫色の細い煙を見ながら、スマホで録画をしておこうと思い読経が始まるときからカメラを向けておりました。

誰もいない林の中で父のお経の声が静かに、せみ時雨とコラボするかのように響いておりました。読経が終わりにかかるころ、「南無阿弥陀仏」と繰り返し唱える部分にくると、

林の中のセミたちが一斉に大きな声で鳴きだしたのです。父のお経の声も聞こえなきくらいに。私はカメラを回しながら不思議な感覚になりました。林中のセミたちがあたかも一緒に「南無阿弥陀仏」と唱えているかのように思えたのです。

 私の頬に知らないうちに涙が流れ、言葉に表現できない感情があふれていたのでしょう。

お経というものは人間の言葉で人間が唱え、人間のためにあるものだと思っていたのですが、そうではなく、また、亡くなった方のためや、仏様を敬うためだけでもなかった。

林の中のすべての命あるもののため、この世界のすべての命と共に生きているという謳歌の様だと思えたのです。 

偶然だといえばそうでしょうが、その偶然をどのように受け止めるかで人は学ばせてもらえるのではないでしょうか・・子どもたちと虫たちの偶然の出会いで学びが始まるように。

 

はじめまして

毎月、園長の「独り言」的なブログを更新しております。このブログは園長本人が感動したり、考えたり、思ったりしたことを綴るもので、これが正しいとか人を諭すようなものでもありません。「園長ってこんな考えをするのだ」、とか、「こんな人なのかな」と、少しでもお判りいただき、私たちの目指す乳幼児教育についてご理解いただければと思っています。

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