園長のひとりごと2024年4月号「こどもまんなか」
園長室だより3月号
園長室だより 2月号 義援金ありがとうございました!!
園長室だより 2024年1月号 「 能登半島震災の被災地の皆様に心からお見舞い申し上げます 」
園長室だより 12月号(2023)
園長室だより 11月号(2023)
園長室だより 11月号 「幸せの瞬間」
月日の経つのが本当に早く感じております。今年も残すところ2カ月となってしまいました。あれほど暑い暑いと連呼していたのが、朝晩はブルっと震えるほど、秋が日増しに深まって来ましたね。県内外では4年ぶりの秋のお祭りが各地でにぎやかに開催されていて、やはり秋は浮立の音色とおみこしや山車の「ワッショイ!」や「えんやー!」の声が一番似合います!先日の「有田くんち」ではどの園も、元気いっぱいに「くんち」に色を添えてくれました。とっても可愛いかったですね!!
さて、私たちの日常は、こんなにも楽しく穏やかに過ぎているのですが、世界に目を向ければ、ウクライナとロシアばかりではなく、イスラエルとパレスチナまでもが争いを始めてしまいました。毎日のようにニュースで流れてくる映像に、瓦礫と化したガザの町や痛々しい姿で病院に搬送される多くの子供たちや市民の姿に、私は無意識に手を合わせてしまいます。色々な理由があることだとは思いますが、どんな理由があったとしても、戦争だけはやってはならないと強く思います。何千何万の子供たちの未来が一瞬にして奪われている現実が同じ時間を共有して生きている今まさに起こっているのです。
私たちの町に、ガザやウクライナの様にたくさんのミサイルが撃ち込まれてきたら、どこにどう逃げればよいのでしょう。ニュースの映像に映る子どもたちの不安と恐怖におののく表情が、私たちの子どもたちの表情だったら、私たちは何をしたらいいのでしょう。そんなことを考えると、この穏やかな日常がとても貴重なものであることを思います。家族がそろって食卓を囲み色々な話をしながら食べる夕食。子どもと一緒にお風呂に入り大きな声で笑いあう日常。美しい月を愛でながら空に散らばる星々に夢を語り合う秋の夜。静かな夜半にスースーとかすかに聞こえてくる子どもたちの寝息。何気ない毎日の営みの中に穏やかな時間が流れていることにさえ、当たり前だと思って過ごしている私たちなのですが、その当たり前な時間こそが、かけがえのない大切な時間なのではないでしょうか。
そして、このかけがえのない時間を「幸せ」と感じ、心から感謝の気持ちを持てるような私たちであらねばならないとつくづく思うのです。
先日、有田町の日常を紹介する小冊子が刊行されました。有田の魅力を発信するためのPR誌を数名のデザイナーさんたちが編集されたものです。「A町 とある町、有田町の一日」というフリーのphoto Zineで、手のひらにのるサイズの小冊子なのですが、ページをめくると何気ない日常が素敵な1枚の写真に収められていて、1枚1枚めくるたびに、何か温かな想いが伝わってきます。ここ数日、いえ、ここ数年間何かしら世界情勢の不安定感と人間の醜い様に心がすさんでいた私に、一服の清涼感みたいな、柔らかく心地いい風が吹いてきたように感じて、涙がでてしまいました。ここに収められている日常がとてもありがたくて、とても大切なんだと思うと、この町に生まれ、この町に暮らしている私自身が愛おしく、また、この町に住む人々が愛おしく思えるのです。
うまく言葉に表せないのですが、小さな冊子の中に大きく息づく幸せの瞬間を感じたので、皆様にもご紹介したくてお便りにしました。 N・O
園長室だより 10月号(2023) 秋の夜長に・・・
園長室だより 9月号(2023) 「素敵な夏をありがとう」
園長室だより 8月号(2023)「せみ時雨」
毎日のあいさつが「暑いですねー」で始まるくらい、夏は暑い!のですが、今年の夏は本当に暑い!!尋常ではない暑さに加え、この3年間、新型コロナウイルス感染症で外出制限やイベント開催の中止などで、全国各地のお祭りや花火大会が4年ぶりに開催され、人々は嬉々としてあふれるように外に出て、祭りを楽しむ熱気でヒートアップしているようにも感じております。この暑い夏でも子どもたちにとっては、毎日が冒険!色々な虫たちの出会いや、みんなで栽培した野菜たちがぐんぐん大きく成長して行く様子に驚いたりと、様々な出会いが大きな学びを与えてくれているようです。
さて、今月のお話は何にしようかしらと思っていて考えている私の耳元に、セミたちのにぎやかな声が聞こえております。じっと聞いていると、せみ時雨の様にミンミン、ジージーと鳴いているかと思えば、時々大きな声で一斉に鳴き出す。それを聞きながら先月のお盆の日のことを思い出しました。
7月15日のことです。私たちの園の中心は浄源寺という浄土真宗のお寺です。その元住職である父(理事長)は、毎年お盆と1月の御正忌には、歴代の住職のお墓に行きお参りをするのです。そのお墓というのが楠木原という地区の奥まった林の中に苔むしてたたずんでいるのです。90歳を超える父なので今年は私もついていくことになりました。
田んぼの畔をわたり、うっそうとした林の入り口まで行く細い道はデコボコや急斜面があったりするのですが、小径の周りの草は地区の方がきれいに払っていてくださったので安全に歩くことができました。林の中は日を遮られていたので少しだけ気温が低く、森林特有の香りがしました。そして、せみ時雨が林の中いっぱいに聞こえておりました。
父は97歳になります。私は来年もここへ父は来れるのかなと思いながら、お墓に水をかけ、花を手向け、お線香をたき、そのお香の紫色の細い煙を見ながら、スマホで録画をしておこうと思い読経が始まるときからカメラを向けておりました。
誰もいない林の中で父のお経の声が静かに、せみ時雨とコラボするかのように響いておりました。読経が終わりにかかるころ、「南無阿弥陀仏」と繰り返し唱える部分にくると、
林の中のセミたちが一斉に大きな声で鳴きだしたのです。父のお経の声も聞こえなきくらいに。私はカメラを回しながら不思議な感覚になりました。林中のセミたちがあたかも一緒に「南無阿弥陀仏」と唱えているかのように思えたのです。
私の頬に知らないうちに涙が流れ、言葉に表現できない感情があふれていたのでしょう。
お経というものは人間の言葉で人間が唱え、人間のためにあるものだと思っていたのですが、そうではなく、また、亡くなった方のためや、仏様を敬うためだけでもなかった。
林の中のすべての命あるもののため、この世界のすべての命と共に生きているという謳歌の様だと思えたのです。
偶然だといえばそうでしょうが、その偶然をどのように受け止めるかで人は学ばせてもらえるのではないでしょうか・・子どもたちと虫たちの偶然の出会いで学びが始まるように。
はじめまして
毎月、園長の「独り言」的なブログを更新しております。このブログは園長本人が感動したり、考えたり、思ったりしたことを綴るもので、これが正しいとか人を諭すようなものでもありません。「園長ってこんな考えをするのだ」、とか、「こんな人なのかな」と、少しでもお判りいただき、私たちの目指す乳幼児教育についてご理解いただければと思っています。